ウズベキスタン紀行 ~シルクロードの街~

旅 海外編

おはようございます。

新しい1週間が始まりましたね。
楽しく過ごせたらと思っております。

さて、8月に訪れたウズネキスタン旅行について少し書きますね。
全然、書いていないことに気が付きましたよ。

まず、飛行機の中から見えた天山山脈の一部。

地図の上だけで見ていた山脈を見れて嬉しなあ。

西域にきているぞ~とわくわく感がありましたね。

そして、タシケント→ウルゲンチと乗り継ぎ、
ウズベキスタンの中央部ヒヴァという街につきまして、
一晩過ごしました。

ヒヴァの街から、バスで古代の城塞都市あとにでかけました。

少し草のある砂漠をバスで2時間くらいゆられ、
ウズベキスタン内にある、カラカルパクスタンという国に入り、
トプラク・カラという城塞都市あとへ。

紀元前5世紀ごろのもので住居跡がくっきりと残り、
ゾロアスター教の神殿もあったそうです。

この乾燥しきった、日差しがきつい場所に、
よく城塞都市があったものだと、感心してしまいました。

からっからでございました。

張り切る主人。

このころは、主人も体調がよかったのでございますが、
帽子をかぶらないで歩いていたせいか、
2日後にはダウンするのも知らず、ごきげんでございました。

天気はどこまでもよいのですが、砂ぼこりと日差しが、強すぎます。

もひとつ、アヤズカラという城塞都市あとへ・・。

この写真は、よーくみると、手前の丘に一つ建物があり、
もう一つ丘に城砦があったそうです。

6、7世紀にあった城塞都市で、13世紀にチンギスハーンに
やられてしまったそうです。

城砦のうえからみた、宮殿跡。

この2つの建物の間には、つり橋があったそうです。

そして、こちらは、アムダリア川。

アレキサンダー大王も、この川を渡ったとか・・。

同じ風景を眺めていたかなあ・・。と、感慨深いですね・・。

中央アジアの民は、川の流れに翻弄されて生きてきたそうです。

川の流れが変わると、街を捨てて、
水のある場所に移り住まねばならないそうです。

日本は水が豊富なので、そんなことは考えつかないのですが、
とにかく、この中央アジアは、日差しが強い・・。

じりじりと焼かれる感が強かったです。

つづく

 

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