ウズベキスタン紀行 (まだ終わってなかった(汗))

旅 海外編

こんばんは~。

しつこいんですが、まだウズベキスタンの旅行記が終わってないのでした。

あと、もう少しなのでお付き合いください。

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さあ、最後の街は、首都タシケント=石の町という意味だそうです。

タシケントもシルクロードにある町でした。

首都にある大統領官邸。

立派でございました。

そして、私は全く知らなかったのですが、こちら「旧赤の広場」。

赤の広場って、モスクワだけではなかったのですね・・・。

ソビエト連邦だったから、連邦国家のウズベキスタンの首都にも、
「赤の広場」があったのですね・・。知らなかった・・。

今、像の上に乗っている金色の地球の代わりに、
ソ連崩壊前は、レーニン像が乗っていたんだそうです。

ほーーーーーー、社会主義だのう・・・。

今回の旅行は、ソ連崩壊20年近くたっても、
ロシアさんという超大物の後ろ盾のある国家の様子をかいまみれたことは、
有益でした。

おいしい食べ物はたっぷりあるのですよ。

ウズベキスタン名物のプロフ。ピラフの語源となったお米料理です。

これもおいしかったですよ。

でもね、テレビのチャンネルは国営放送が1つだけ・・・でした。

使う食器も1種類、どの家庭もおそろいですし、
写真撮影禁止の場所もいっぱいあるし、
社会の上層部にはいまだにロシア人が君臨してらっしゃって、
一般のウズベキスタン人の方は、綿の畑で一生を過ごすわけです・・。

実際に、お友達になった20歳の青年から、
「僕は、毎日毎日、綿の畑で働いています。」と、写真が
FB経由で届き、私は衝撃を受けました。

「こんな私のようなおばさんでも、夢に向かって、
歩み続けることができる幸せな社会に住んでいるのに、
20歳の人懐こい男の子が、綿の畑で重労働とは・・・・。」と、
やるせない気持ちになりました。

さきの、ウズベキスタン紀行でも書きましたが、
綿は、ソ連がウズベキスタンに戦略的農産物として栽培をさせたもので、
ウズベキスタン中にたくさんあります。

重労働なのですよ・・・。

長くなってしまいましたが、
その男の子が綿の畑で働いている写真をもらってから、
社会主義の現実を見たような気がしました。

重すぎますね~。

気を取り直して・・シルクロードの市場の様子をご紹介。

こちらブハラの市場。

こちらタシケントの市場の中のはちみつやさん。

ウズベキスタンにはペルシャ的な部分もあるので、
「ペルシャの市場」という曲が頭の中をぐるぐるまわっておりました。

いろいろ考えさせられるたびでございました。

過酷な気候でしたが楽しかったです。

お読みくださってありがとうございました。

 

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